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浅見茶屋から子の権現へ(埼玉県飯能市) 2008/11/29
2008.11.29 Saturday
浅見茶屋から子の権現へ


浅見茶屋を後にして、国道299号線に出て正丸峠方面へ走る。正丸トンネルを超えると秩父だが、今日は秩父には行かない。が、あるポイントを訪れたかった。

それは「本邦帝王切開術発祥之地記念碑」がトンネルの手前に建っている由。これも先週もらった飯能市の観光地図で見つけたのだ。

帝王切開は自然分娩が困難な時に子宮切開によって胎児を取り出す手術方法で、帝王はシーザーのことである(例によって異説多々あり)。その帝王切開手術が日本で最初に行われたのがこの場所である。



それも1852年(嘉永5年)というからすごい。今でもこの地域は国道299号線と西武鉄道のみが交通網であり、当時は鉄道は通っていなかったから、のちに国道299号となるぐちょぐちょの山道あるのみの山間僻地だったろう。東京(江戸)や大阪(大坂)で手術が行われたわけではないのだ。
推測だが、自動車もない時代だから、医者に知らせに行った村人は山道を走って駆け上がったのではないだろうか。

帝王切開の碑

嘉永5(1852)年4月25日(新暦6月12日)、秩父郡坂元村(現在の飯能市大字坂元)で大宮郷(現在の秩父市)の医師伊古田純道(いこだじゅんどう)と坂元の隣村である南川村(現在の飯能市大字南川)の医師岡部均平(おかべきんぺい)によって、我が国初の帝王切開手術が行われました。患者は、本橋常七の妻みとで当時33歳でした。

残念ながら胎児は死亡して取り出されたが、そもそも麻酔なしでの手術であった。みとはその後合併症を起こして苦しんだが回復し、なんと88歳まで生きたというから、もともと非常に身体が丈夫な人だったのだろう。※(まともな記録のある)世界初の全身麻酔による手術は1804年、紀州の華岡青洲によるもの。




そしてバイクを再び東京方面に戻すが、そのまま299号を帰っては芸がないので、子の権現(ねのごんげん)にお参りに行く。名前だけは聞いていたが、ここも聞きしに勝る山奥にある。さきほどの浅見茶屋から山道を1.8kmほどで到達するのだが、バイクや車は無理な徒歩道らしい。なので遠回りだがバイクの走れる道を行く。

道しるべに従って、狭い山道をチンタラ登る。視界が開けたらそこが子の権現(天龍寺)だった。足腰にご利益があるらしい。腰は前から腰痛気味だし最近はヒザも痛いのでお参り。

子の権現

しかしそれよりも山頂にあって視界がすこぶるいい。

子の権現

飯能市街を遠くに望む展望台になっていた。紅葉はもう終わりかけで、植生が紅葉しない植物のようで緑のほうが多かった。

帰りの(東側の)道はものすごい急坂でしかも狭く、路面は濡れているし枯れ葉は落ちているしで、細心の注意で降りて行った。
恐ろしいことに、この林道はなんとGoogleストリートビューに登録されている。あの狭い山道をストカーが通ったとは。


大きな地図で見る


その後、倉掛峠を越えたら久しぶりの砂利道に遭遇し、恐る恐る走ったが1kmもなく、新青梅街道経由で帰宅した。

倉掛

4時半で暗くなり寒かったが、今日はウィンドブレーカーを下に着込み、グローブも風を通さない雨用のを装着したので、先週のように震えることはなかった。

真っ暗になった5時15分に家に着いた。総走行距離149kmだった。

飯能市



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