ヨーロッパ鉄道旅行--1981--

フランスタイトル

■TGV
ジュネーブ駅からフランスの誇る新幹線<TGV(テージェーヴェー)>でパリ・リヨン駅へと向かう。今回の旅のハイライトだ。旅行会社もそのつもりだったようだが、総勢40人の中で鉄道がお目当てなのはわれわれ二人だけで、あとは普通の観光客だった。
ツアーは2等車が予約されていたが、前夜のジュネーブ駅で同じ便の1等車を予約する。二つの席を乗り分ける趣向である。

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時速270kmのTGVはさほど速いという感じがしなかった。フランスは農業国であり、車窓は農地がほとんどで飛び交うビルのような目標物が無かったためである。1等車はさすがにゆったり3列シートであったが、2等車はなんとなく飛行機のようで味気なかった。車販のワゴンは飛行機そのものではなかったか。



■パリの自由の女神
パリ市内で二人は別々の行動とした。私は自由の女神を見に行った。アメリカ横断ウルトラクイズの優勝者である私は、いつも出題される自由の女神に大きな興味を持っており、フランスがアメリカに贈った女神の原像を捜し歩いたのである。
ひとつはリュクサンブール公園にある原像、もうひとつはセーヌ河の中洲に立つ、やや大きな像である。
リュクサンブール公園の女神
セーヌ河の女神


●パリで自由の女神を見る不思議感覚
自由の女神はニューヨークのシンボル。確かにそうなんですが、本家本元はパリにあります。そもそも自由の女神はアメリカ独立100年にあたる1886年に、フランス市民がアメリカ市民に送ったもの。その原像はパリのリュクサンブール公園内にあります。またセーヌ河の中州にもあり、本家はパリと知ってはいても、エッフェル塔といっしょに見るとおかしな気分。
そもそもパリで自由の女神を捜し歩くという奇行のわけは、日本テレビの「アメリカ横断ウルトラクイズ」で自由の女神についてのクイズがよく出題されるから。「自由の女神は裸足か、否か」なんてクイズも出たのです。ほとんどの人は裸足と思っていたようだけれど、正解はサンダルばき。パリの本物も、サンダルをはいておりました。


■市内散策
さらには、学生街のカルチェラタン、古い教会のあるサンジェルマンデュプレ、荘厳なノートルダム寺院の中、豪勢なベルサイユ宮殿……。名所旧跡はもちろん、パリという街は、一般の住宅まで整然としてかつエレガンス、都市全体が美しさを放っている。シャンゼリゼという名のメインストリート、エッフェル塔などのシンボル、コンコルド広場などのゆとりの空間、そしてやすらぎを与えるセーヌ河。都市とは人間が人間らしく生きる上でとっても重要な要素であることをこの街は教えてくれた。

おなじみエッフェル塔 ノートルダム寺院を描く人
パンテオン ノートルダム寺院のステンドグラス
ベルサイユ宮殿鏡の間

その夜は種村氏のおごりでリヨン駅内にある高級レストラン<ル・トランブルー>でのディナーだった。トランブルーとはブルートレインのことである。仏和辞典を引きながらメニューを注文した。
氏はパリ近郊の古城を訪ねたという。二人が別行動を取り、夜食事を取りながら二つの話を突き合わせると旅の広がりが倍になる。
ぼくが一生のうちに目にするもの、耳にするもの、出会うものなど、たかが知れているだろう。だからぼくは好奇心のかたまりでいよう。時間を作っては旅に出ることにしよう。新しい喜びと出会いを求めて−−−−。




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