廃線前を訪ねて


かつて北海道の大地を駆け巡っていた、今は廃線となった国鉄ローカル線のありし日の姿。

©北川宣浩 2000
夕張線

 

廃線前を訪ねて

上砂川線


線名:上砂川線(かみすながわ・せん) 函館本線支線
区間:砂川(すながわ)-上砂川(かみすながわ) 7.3Km
全駅:[廃止された区間のみ]砂川-下鶉-鶉-東鶉-上砂川
開業:1926年08月01日 砂川-上砂川
全通:1926年08月01日
廃止:1994年05月16日[砂川-上砂川]
訪問:1974年08月05日

上砂川駅入場券

上砂川線は通称であり、正式には函館本線の支線であった。戸籍上は天下の函館本線のため、閉山した炭鉱へと向かう赤字盲腸線にもかかわらず、収支は函館本線といっしょになっており、なかなか廃止にならなかった。他の赤字線から言わせれば「ずるい」の一言である。しかし遅れること1994年、JRになってからようやく廃止となった。

高校の時転校生がやってきた。その佐藤栄一君は「北海道の、旭川の近くの、砂川と言うところから来ました。」と自己紹介した。父上が炭鉱会社に勤めており、東京に転勤になったのだ。「旭川の近くの砂川」と言われても知る者はいなかった。地図帳を開くと炭鉱マークが辺り一面についていた。
彼は故郷が忘れられずギターを手にジョン・デンバーの「カントリーロード(故郷に帰りたい)」をしきりに歌っていた。そんなため、彼は我々にあまりなじまなかったし、まわりも(東京を非難するので)いい目で見ていなかった。筆者は彼の家に行ってお母さんにも会っているし、つきあっていた方だ。彼は東京では進学せず小樽の大学に入った。
学生時代にもよく渡道したので、小樽の下宿に2度ほど世話になったことがある。1度目は従弟と1973年に訪れたとき。彼は行き違いで東京の親元に帰っており、「自由に部屋を使ってくれ」と置手紙があった。が、冷蔵庫の電源が切ってあったので、バターが腐って臭いに閉口した。2度目は1974年、大学自転車部の合宿の帰途だろう、泊めてもらった。彼はバスガイドの彼女と楽しくやっていた。3人で寝たのであった。
その後、消息は途絶えた。東京の彼の住んでいた家も建て替わっている。
砂川という地名を見ると、佐藤君の自己紹介を思い出す。

 

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