かつて北海道の大地を駆け巡っていた、今は廃線となった国鉄ローカル線のありし日の姿。
線名:胆振線(いぶり・せん)
区間:伊達紋別(だてもんべつ)-倶知安(くっちゃん) 83.0Km
全駅:伊達紋別-上長和-壮瞥-久保内-蟠渓-北湯沢-優徳-新大滝-御園-北鈴川-喜茂別-留産-南京極-東京極-京極-北岡-寒別-参郷-六郷-倶知安
開業:1919年11月15日 倶知安~京極
全通:1941年10月12日
廃止:1986年11月01日
訪問:1979年05月04日
京極駅での交換待ち。1986年 |
|
羊蹄山が美しい、喜茂別駅での交換待ち。1979年 |
胆振線は蝦夷富士とも呼ばれる羊蹄山をぐるりと囲むように、室蘭本線の伊達紋別駅と、函館本線の倶知安駅とを結ぶローカル線だった。一面のジャガイモ畑から羊蹄山がそびえ立つ姿、さらにアクセントを添える尻別川はとても美しく、何度も乗ってみたい線だった。
しかも鉄道マニア的にはずせないのは、京極(きょうごく)駅から脇方(わきかた)駅への枝線があったことだ。これは1970年に廃止されているが、そり残したひげのように1駅だけ伸びた、かわいい枝線だった(筆者は乗ってない)。
2000年3月の有珠山噴火の際、某テレビ局の説明用地図フリップに胆振線が描き込まれており、思わぬところで再会した(すぐに正しい地図に戻ったが)。歴史をひもとくと、昭和新山の発生時には長らく運休になっていたこともある。
新大滝駅 |
|
廃止間近に乗ったときの、車掌手作りの乗車証明 |
難読の蟠渓駅(ばんけいえき) |
国鉄胆振線全駅の空中写真をお目にかける。
国土交通省の地図・空中写真閲覧サービスは、国土地理院がこれまで整備した地図や航空カメラで地表面を撮影した空中写真、公共測量で整備した地図を検索して閲覧することができる。都市計画図、都市計画基図、航空写真、旧版地図、昔の地図、迅速図、迅速測図原図などが自分のパソコンで見られるのは素晴らしい。
昭和末期の写真には今や廃線となった国鉄路線が伸びている写真があり、目を奪われる。このうち駅部分を拡大してご覧いただく。なお、写真によって拡大率は異なる。
伊達市の玄関駅。室蘭本線との分岐駅で健在である。
胆振線のレールは駅西側から北へと伸びていた。
田園地帯にある小さな駅。
壮瞥町は横綱北の湖(元:日本相撲協会理事長)の出身地。駅の北側には洞爺湖が広がる。
田園地帯にあり、駅周辺と道道周辺に民家がひしめいている。
北側に蟠渓温泉がある。
駅は橋を渡ってすぐの小さなホームだと思うが、写真下の広場のある部分のような気もする。
北湯沢温泉街が広がる。
小さな集落だ。優徳小学校は2003年3月に閉校した。
駅背後の山と、南部の長流川とに挟まれた集落にある駅だが、沿線ではそこそこ大きい駅で入れ替え待ちもあった。列車が停まっているのが見える。
国道からも離れている山間の小駅。
山間部を抜けたところにある駅。ここまで来ると羊蹄山が見えてくる。
町外れにある。
沿線で最も大きく、交換設備があった。目の前に広がる羊蹄山と尻別川の光景は、入れ替え待ち時間の楽しみで、見とれた。
現在駅の場所には新興住宅が建っている。
田園地帯にある小さな駅。
京極町市街の南部にある。
胆振線は京極町を囲むように走っており、東京極駅は市街地の文字通り東の縁にあった。
線路が町を囲み、市街地に3つの駅があるからか、この町の代表駅は町外れの西側にある。
かつて京極駅から東の脇方(わきかた)まで、1駅だけの支線が通っていたが1970年に廃止になった。6年後に撮影されたこの空中写真では路線の痕跡すらわからない。
田園地帯の小さな駅。
現在この場所に橋がかかっている。
小さな集落だ。
そろそろ倶知安の市街地に向かう。1両停まるのがやっとのホームと小さな待合室だけの駅。
倶知安の市街地にある駅。
函館本線との分岐駅。胆振線は駅の北東側から函館本線と合流した。