廃線前を訪ねて


かつて北海道の大地を駆け巡っていた、今は廃線となった国鉄ローカル線のありし日の姿。

©北川宣浩 2000
白糠線

 

廃線前を訪ねて

白糠線


線名:白糠線(しらぬか・せん)
区間:白糠(しらぬか)-北進(ほくしん) 33.1Km
全駅:白糠-上白糠-(共栄)-茶路-縫別-上茶路-下北進-北進
(  )の駅は、仮乗降場。
開業:1964年10月07日 白糠-上茶路
全通:1972年09月08日
廃止:1983年10月23日
訪問:1981年05月04日

白糠駅 共栄仮乗降場
茶路駅 縫別駅

白糠線は夭折の路線だ。わずか19歳の生涯だった。
本来、白糠線は釧路の西、根室本線白糠駅から池北線(その後、ちほく高原鉄道ふるさと銀河線=2006年4月廃線)の足寄(あしょろ)をめざし、根室本線のバイパス的に使われるのが究極の姿だったらしい。しかし、沿線の石炭産業は終焉を告げ、路線の存在価値が急速に下がっていった。それでも人家がほとんどない荒涼たる土地をひたすら北へ進み、まず上茶路まで開業。死力を振り絞って北進まで開業したところで、精根尽き果てた。白糠線は第一次特定地方交通線になりバス転換第1号の栄誉を受けた。
終着駅だった北進駅を見れば、廃止になるのがわかる。北進はまったく人跡のない土地でこれといった地名がなく、「北へ進もう」のかけ声が駅名になったという。駅の先には車止めがあったが、この先の一部は路盤が作られていた。しかし車止めが外されることはなかった。
白糠線はたった1両の車両がトコトコ走っていた。筆者が乗車したときは約20人の乗客がいたが、「まともな」客は5名程度で、あとはすべて鉄道マニアだった。中でも、駅名票を撮りまくっている女性がいて(共栄仮乗降場の写真参照)、それをまねして筆者も駅名票を撮り出した。だから、白糠の次の上白糠駅は写していない。気になったので帰りの車中で聞くと、彼女は岩見沢の女性だった。今、どうしているだろうか。あのときの上白糠駅の写真を持っているだろうか。
北進駅に着いたら、少年たちが種村直樹著「鈍行列車の旅」を持って近づいてきた。筆者はこの本のイラストを描いていたのだ。渚滑線のクイズマニアといい、筆者を知っている人が多いのにいささか気をよくしたのだった。

上茶路駅下北進駅
北進駅 北進駅全景。わざわざ崖に登って撮影。

 

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