廃線前を訪ねて


かつて北海道の大地を駆け巡っていた、今は廃線となった国鉄ローカル線のありし日の姿。

©北川宣浩 2000
夕張線

 

廃線前を訪ねて

歌志内線


線名:歌志内線(うたしない・せん)
区間:砂川(すながわ)-歌志内(うたしない) 14.5Km
全駅:砂川-焼山-文殊-西歌-神威-歌神-歌志内
開業:1891年07月05日 岩見沢-歌志内
全通:1891年07月05日
廃止:1988年04月25日
訪問:1982年09月08日

歌志内駅入場券 歌志内駅
歌志内駅 歌神駅

歌志内市は市であるにもかかわらず、炭鉱の閉山で人口が減少し、6000人程度しかいない日本一人口の少ない市である。
1982年の初秋のある日、どういうわけかクイズのポン友・森田敬和といっしょにこの線に乗った。森田は鉄道にはまったく関心を示さないやつである。よくいっしょに北海道へ行って、しかもローカル線に乗ったものだ。「暗い趣味……」と、始終文句を言っていたが、彼のほうが正しいかとも思う。歌神(かしん)駅の写真があるのは、当時の「幸福」に代表されるあやかり切符ブームで、将来アイドル歌手になれるおまじない駅として話題になったことがあったからだ。いや、鉄道マニアの間でしか話題にならなかったか。
森田との旅行はだいたいをレンタカーで回った。士幌線沿いに、深名線沿いに……、やはり鉄道に絡んでいたのは間違いない。層雲峡で泊まることになり、大きな旅館に恐る恐る泊まれるか伺いを立てると、一人8000円で仕切ってくれた。シーズンオフとは言え、当時としても格安だったろう。その層雲閣グランドホテルは、当時の筆者としては超高級旅館であり、食事にも温泉にも大変感動した。1997年の夏休み、家族といっしょの北海道旅行で、「いい宿に泊まろう」と、この宿を指名した。2階建ての温泉や机の上に並びきれないほどの料理はあいかわらずだったが、マスプロでなんとなくがっかりした。人の印象は時によって変わるものである。
歌志内線は無くなってしまった。すでに寂れていたあのときの町は、どうなっているのだろうか。

 

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