TVクイズ大研究

TVのクイズ番組を裸にした本!
数々の番組で優勝を続ける筆者が、自らの経験と頭脳からあみ出した、 本当は公開したくない、
TVクイズ攻略のまる秘カリキュラム一挙公開!

©北川宣浩 1981
スタジオ

第5章:さあ!スタジオ入りだ


 カメラ前

 −−念願かなっていよいよ出番!
問題の傾向と対策を、番組別に詳しく解説。成功を祈る!


クイズグランプリいざ本番


クイズ初出場の興奮

 1976年8月22日予選、9月7日録画、17日放送のクイズグランプリが、ぼくのクイズの歴史の第一歩である。

 だいたい子供の時から、クイズやなぞなぞは好きだった。学習雑誌のおまけにそのテの本や、「算数なんでも事典」といった具合の雑学ものが付けば、必ず捨てずに残しておき、時折ながめたものだ。中学・高校と何ごとともなく過ごしたが、大学生活は実につまらなく、毎日がイヤでイヤでたまらず、よく旅に出るようになった。旅に出れば東京での実生活での肩書などは一切取れて、全く個人の存在で扱われる。だからぼくは旅に出た。

 日本各地を行くようになれば目は自然と外国に向いてくる。そうでなくても若い目に外国は新鮮に見えるものだ。ぼくは外国に行きたくてたまらなくなってきた。しかし金はない。夏の北海道を自転車に寝袋をゆわえてまわっても、なんだかんだで10万円くらいはかかる。しかしヨーロッパなどとなると、旅費だけで悠に数倍はかかってしまい、とてもタダの学生がまかなえる額ではない。そこでタダで行くことを考えた。こんな風にぼくのクイズ熱は外国旅行へ行きたいが為に始まった。もちろんクイズが割と好きで、TVを見ていても結構できるという裏付けがあったからだが。

 1976年の4月頃、クイズグランプリにハガキを出した。それまでは、クイズ番組に出る人ってどんな人だろうと思ったことはあるが、自分が出るなんて毛頭考えたこともなかった。クイズに出る人なんて、タレントさんみたいな、別世界の人と思っていたくらいだ。

 ハガキを出したのも忘れた8月初旬、なんとグランプリの予選通知ハガキが来た。今でこそ見慣れているが、こんなものを受けとるのは初めてだから、シゲシゲとながめかえした。(P52参照

 予選があるなら少しでも知識を仕入れようと、「クイズグランプリ問題集」を買って来た。本屋は好きでよく行くので「グランプリ問題集」の存在は知ってはいた。が、それまではそんな本を買うどころかめくる気もしなかったのに、エライ変わりようだ。妹に問題を読みあげてもらい答えるのだが、半分も答えられず、だいぶあせった。それから、TVに出る人が、「クイズに強い秘訣は」と聞かれ、「新聞をよく読んでます」と言っていたので、新聞も熱心に目を通した。

 そうこうしていると予選日の8月22日になり、フジテレビへ出向いた。なにぶん学生で試験には慣れてるからあがらずに書けて、マアマアの手ごたえで帰宅。すると一週間もたたないうちに速達で出場通知が来てしまった。

 クイズグランプリ合格通知

 それによると「9月7日の録画に予備出場者として来てください」とのこと。当時のグランプリは三日勝ち抜くと優勝だった。優勝者が出ると、その人の分だけ解答者が足りなくなるので、予備出場者が待機しているのだ。出られるか出られないかわからないので、東京近郊のヒマ学生がこれになる。他の2人の予備出場者と共に、出番を待った。

 優勝者が出なければ出番はこない。1回目録画、2回目、3回目……と、三日勝ち抜き者は出なかった。出られると決まっているならまだしも、それがわからないのだからよけい緊張する。最初のうちは予備の学生同士で雑談していたが、不安がつのって、いてもたってもいられなくなった。恐怖のために、体が他人が見てもわかるくらいにふるえてくるのだ。頭の中をフワッとあの問題が出るのではないかと心配が横切る。人前をもはばからず問題集を取り出し、バラバラとめくった。

 5回目の録画が終わり、あと1本、9月17日分で最後という時、なんとぼくが呼ばれてしまった。つまり優勝者が出たのである。最後になって出番なんて! 緊張しすぎて"あがる"などというモノではなかった。

 スタジオに入りイスに座る。リハーサル問題もなく、ボタンとマイクのテストをしただけで、あれよあれよと本番になってしまった。オープニングの「クイズグランプリィ……」の頃は、ドッキンドッキンと心臓の音が聞こえるくらい、興奮が高まっていた。

 クイズグランプリ

 しかし出足は好調。90点とって向かえるはチャンスカード。トップだったから全部賭ける必要はないので70点を賭ける。「リマを首都とする南米の国は」首都と国名なんてクイズの中のクイズ。でもアルゼンチンと答えてブー。正解はペルー。以後このような強制的に答えざるを得ない出題形式(O×三択など)に対してアレルギーとなる。

 それでも出番直前に読んだ問題集から、「最初に万国博が開かれた都市は」(答、ロンドン)なども出て、クリアー。全体的にボタンさばきもうまく、210点でチャンピオンになった。小泉さんが、
「北川さん、たいへん好調にポンポンと点をお取りになってますけれども、クイズのほうは何か練習なさってるんですか」と尋ねたので、バカ正直にも、「イエ、新聞を読んで、アト、グランプリの本をチョットやりました…」と自白してしまった。クイズ初出場なので、ウブだった。

 ともかく1日勝ち抜きで、残りは翌週録画になったのだが、帰ってからもタイヘン。興奮緊張醒めやらず、夕めしも食えないありさま。グッタリくたびれ、勝った人なのか負けた人なのかもわからない惨状だった。

 翌週9月14日、ここまで来たら3日抜きをめざそうと出陣。グランプリの本も全部買いそろえ、首都と国名も世界百数十ヵ国のを調べてのりこんだ。

 走馬灯

 まず2週目にあたる9月20日分。第一問目、スペシャルのテーマは「走る」で、それの10点に、
「まわり燈籠を、走る馬にたとえて何という」
「ソトーバ(卒塔婆、お墓に立てる経文を書いた細長い板)」
などと答えてしまい一同ズッコケる。答えは走馬燈、"走燈馬"と、頭の中でいれかえてしまったのだ。だが、それもものともせず、ボタン押しは好調。ムラなく各ジャンルに答え、ダメ押しの点も取り360点でトップ。

 クイズグランプリ

 
「この調子なら明日大いに楽しみですね」
などと小泉さんに言われたが、全身キンチョウのカタマリで、ノドはカラカラ。スタジオの外のウォータークーラーで、水をやっとの思いで飲んでると、即"明日"になった。なにぶん1週間分を一度に録画するので。

 9月21日分は、いよいよ3日目、この日勝てば、ヨーロッパ旅行に挑戦である。「3日目挑戦のお気持ちをちょっとうかがいましょう」
「イヤ、モウ、かえって緊張してドキドキしてます」
「そうですか、あんまり緊張しているような顔はしていないようですが。たいへんリラックスしてますけれどねえ……」

 顔だけはズウズウしいのだが、やはりプレッシャーは強かった。押せないのである。グランプリは、最初のやさしい問題にたくさん答え、ある程度の点を貯金しておくのがいいか、後半の高得点問題をいくつか答え、一気にのしあがるのがいいか攻撃方法にもいろいろある。いままでは前者の方法だったが、そんな理論どころではなく、せっかく答えてもすぐ間違えて、低空飛行を続けるのみ。間違いはおそろしい。わかっているものに対しても押せなくなってくる。持ち点60点で、芸能音楽の10になった。
「ディズニーマンガの人気者で、ネズミはミッキーマウス、ではアヒルは」
「ドナルドダック」
で、70点。次いで20。

 「のこいのこが、6時雨戸パタパタうるさいな、7時お鍋ケロケロ台所と唄う、評判のTV童謡は」
「パタパタママ」

 と答え、90点になった。次の芸能音楽30はチャンスカード。

 トップは220点とグッと開いている。当然全部賭けた。
「唱歌"村祭"で、朝から聞こえる笛太鼓の音は」

 えっ、そんな歌あったっけ。急に思い出せない。笛太鼓の昔なら…ってんで、
「ピーヒャララ」と答えてブー。小泉さんの声が一瞬つまり、
「ん……。残念、笛太鼓の音、これは……」
ドンドンヒャララドンヒャララですよねえ。

 0点になってしまい、その後の数問にも答えることができず、そのままで終わってしまった。こうして、210、360点ときたのに、0点でヨーロッパはうせてしまった。そうだそうだ、これでいいんだ、どだいクイズで外国へ行こうなんて考えが甘かったんだ、バイトでもして金ためてそれで外国へ行こう。もうクイズなんてやめよう。あれだけ善戦したんだからいいじゃないか。そう考えてスゴスゴ帰ったのでした。

 

 ところが、放送を見た大学のやつらは、惜しかったねというどころか、ピーヒャララピーヒャララとバカにしだした。
「ドナルドダックとパタパタママの次はピーヒャララ」
なんて、1回目2回目の善戦には目もくれず、さんざ、からかった。コンパの席でも「村祭」が歌われた。とにかく人の悪いところに目を向けて、キツイことを言ってバカにするのを喜びとしているやつらばかりだったので、思う存分もてあそばれた。ウウッ、くやしい。あそこで勝ち進んだのに、

 これだけバカにされるとは。もうヨーロッパなんてどうでもいい、今度はクイズに勝ってやる。優勝してやりゃいいんだろう、クイズに。

 こうして、満たされない欲望を、クイズで叶えることもできなかった。でも負けるのはイヤだった。
クイズに勝とう!そして翌1997年アタック25に挑戦、初優勝。

 クイズグランプリこそ、ぼくのクイズの原点といえる由縁なのだ。その後5年目にして、特別番組の枠でやっと優勝できました。

絶対厳禁フライング

 グランプリの予選から出場までの進行手順は、体験記でおおむねおわかりいただけたと思う。

 では、具体的な作戦に移ろう。グランプリ最大の特徴は、問題を耳で聞いて答えるヒアリングでなく、目で文を読んで答えるリーディングにある。ヒヤリングの場合は、問題文をある程度まで聞かないと答えられないが、リーディングなので一度に問題文の全容を知ることができる。そのため他のクイズよりも、ボタン押しのテンポが速い。

 問題の指名権を持つ者が、たとえば「社会の10」を指名したとする。司会の小泉さんがそれを受けて「社会の10」と言うと、問題パネルの裏に隠れたスタッフが、社会の10の点数ボードを引きあげて、問題文が見えるようにする。同時にナレーターが問題を読みあげるが、まさか出場者でこれを聞いて答える人はいないだろう。スタジオにもスピーカーからナレーションが流れるが、目に神経を集中しているため、意識の中では音は聞こえない、あるいは聞かないのが実体である。

 ではスピード感あふれるグランプリのクイズ戦で、人より速く問題文を理解し、ボタンを押して解答権を得るにはどうしたらよいだろうか。
「10点や20点の問題ならたいていわかるから、まずボタンを押して、それから考えればいいよ」
と、誰もが思われるだろう。しかし、これはフライングである。このフライングだけは絶対にしないこと。まずあなたにとって不利になる。というのは、必ずしもあなたにわかる問題が隠されているとは限らない。番組を見ていると、問題が出るか出ないかのうちにボタンを押し、いざ答える段になるとエヘラエヘラ苦笑いを浮かべて、答えられずに「まちがえました」なんて、キマリ悪そうにいう人がいる。視聴者には、10点や20点の問題はやさしいとの意識があるから、「あのバカ、景気よく押しておいて、あんな問題に答えられないでやんの」と受け取られる。それと、この本の第1章でも、ぼくのつたない体験記でも、間違いがいかに大きなマイナスになるか繰り返し説明したはずだ。思い違いなどはともかくとして、答えられない問題、わからない問題に対してボタンを押すなんて、これほどバカげた行為はない。まず自分自身のためにもフライングは避け、必ず問題を理解してからボタンを押してください。

 クイズグランプリ合格通知

 次に、フライングをすると、他の出場者および視聴者がたいへん不愉快になるのだ。何年か前に、京都府立医大の学生(特に名を秘す)が、10点から30点くらいの問題に対して、片端から、点数パネルもあがらぬうちにボタンを押し、解答権を得ていった。よくできる人で、ほとんど答えてはいたが、当然いくつかわからない問題もある。その時は、オーバーなジェスチャーでしきりにくやしがったが、実に不愉快極りなかった。トップになり、小泉さんにたしなめられたのにもかかわらず、チャンピオン大会でも同様のフライングを続け、結局優勝してしまった。数日後の新聞のTV投書欄にも取り上げられ、「ひどすぎる「フライングにはペナルティーを設けよ」などの意見が2回も載ったほどだ。後日当人に会う機会があったので、その話をすると、「あれは作戦のひとつ。勝てば官軍だ」とうそぶいていた。
 こんなやつはどんなによくできようとも、クイズに出る資格はない。

 フライングがあると、せっかく真面目に答えようとしている人を無視するだけでなく、それが続くと、勝負は本来の問題がわかるわからないかでなく、解答権争奪戦に変わってしまう。フライングはグランプリをクイズでなくしてしまう、まったくのルール違反。番組は視聴者のために作っているのであって、ある一人を外国に行かせるために作っているのでは決してない。局も打ち合わせの時、フライングについてはきびしく言う。フライングが続くとVTRを止め、注意し、何問か解答を休ませるとのことなので、くれぐれもしないように。

問題文は読むより見ろ

 ぼくのグランプリ戦を見た人から、
「どうしてあんなに早くから押せる(わかる)んですか。押してから考えてるんでしょ」
と聞かれたけれど、前述したとおりフライングは一切しない。すべて答えが頭にひらめいてからボタンを押している。ぼくは、文が長いのや、漢字が多いのは別にして、比較的短いものなら、読まずに一度見て、それで判断してしまう。人によって、下から上へ逆に目を走らせる人や、問題の核心が多くは3行目にあるからと、まず3行目を見る人もいる。いずれの場合でも、読むよりは見て理解し、ボタンを押すのが、解答権を得るコツだろう。

 ではどうしたらそれができるか−−。それはもう練習以外にありません。「早押しクイズの対抗法」で説明したように、番組を見ながら、ボタンに見立てた机などをたたき、ノートに点をつけてみる。スタジオの問題パネルは、いざ本物を見てみると、予想よりはるかに小さいハズ。16インチくらいのテレビを、4〜5m離れて見ているのと同じようなものだ。TVからグッと離れて見るようにしよう。

問題演習はかかさずに

 クイズグランプリは「スポーツ」「芸能・音楽」「文学・歴史」「社会」「科学」「ノンセクション/スペシャル」と6つのジャンルから各5題ずつ出題されるので、問題内容に片寄りはない。誰にも公平な半面、出場直前のヤマをかけた勉強があまり効かない。一口でいうなら、幅広い分野からよく練られた問題が出る番組だ。だから日頃からクイズに慣れておきたい。

 まずクイズグランプリをよく見ること。次に他のクイズもなるべく見る。新聞・雑誌などの活字に親しんでおく。そしてサンケイ出版から出ている問題集「クイズグランプリ」第1集〜第5集を読むことをおすすめする。過去グランプリで出された問題が、ジャンル別、難易別などに分類整理されており、全5冊で総計8500題と、たいした数である。ぼくは、最初にクイズに出た時から今日まで何度も何度も読み返した。答えを隠しておいて、できなかった問題にはチョメ印をつけておく。何度も繰り返し読むと、あたかも百人一首で上の句を聞いて下の句を言えるように、問題の出だしだけで、答えがわかるようになる。逆に答えから、どんな問題がわかってしまう。不思議にも、覚えられないものは、何度読み直しても覚えられない。

 クイズグランプリ問題集はよく作られているから、他の番組に出る時でも、知識の整理に役立つ。ぜひそろえて、繰り返し読んで問題を覚えてください。この本に出ている問題はもうTVには出ないだろうなんて思ったら大間違い。バンバン出るので、その意味からもおすすめする。

得意なジャンルを一気に攻める

 第一問目はパネル右上のノンセクションの10からで、以下正解者が指名権を得る。ノンセクションの10に誰も答えないと、2問目はとなりの科学の10になる。TVで一人が景気よく続けざまに答えているのを見ていると、10点の問題を次々に横へ指名しているのが多い。はたしてこれはうまい方法だろうか。10点の問題を全部答えたところで60点。それに比べ、後半の40点50点の問題を数問答えると200点はいく。それに10点の問題は誰にとっても、おおむね答えられるやさしい問題なのだ。先日も、ある女性が10点の問題を横一列とり、次に20点の問題をやはり横へと指名していったが、間違えて、60点がたちまち10点くらいに減ってしまった。間違えることを考えても、10点問題を横へ指名していくのは、あまりいい方法とは言えないだろう。

 ぼくはまずノンセクション(スペシャル)の10を答え、すると指名権が得られるから、得意なジャンルの社会の10を指名する。そして社会の20、社会の30……と縦に、下へと指名して(答えて)いく。10、10、20、30、と4問答えるだけで70点とれるのだ。50点まで全部答えると、たちまち160点になり、これだけで優勝の可能性がある。−−そううまくはいかないけれど、誰にもやさしい10点の問題ばかり答えるより、自分にとって得意な、つまり自分にとってはやさしい、得意なジャンルの問題を下へ下へと指名していったほうがいい。クイズはムラのない知識が要求されるが、グランプリは問題がジャンル別に分かれているから、得意分野をうまく活かして点をふやそう。また下へと指名していくと、30点40点にチャンスカードが隠れていることがあるので、チャンスカードを利用して、さらに点をふやせる。

チャンスカードは思いきって

 チャンスカードは全30問中2問あり、30点か40点の問題の部分に隠れている。ひとつが科学に入っていれば、もうひとつは文学・歴史あたりと、ちょっと性質の異なるジャンルに含まれているのが普通である。ノンセクションには、あまり入っていない。チャンスカ ードを指名した人は、持ち点いっぱい賭けられる。持ち点が50点以下な50点まで。できれば賭けた分だけ点がふえる。できないと賭け点分だけマイナスになるが……。

チャンスカード

 チャンスカードはその名のとおりチャンスなのだから、思いきって点を賭けるべきだ。トップが160点で、2位のあなたが110点とする。そしてあなたがチャンスカードをひいたとする。あなたが指名したのだから、おそらくあなたの得意なジャンルの問題のはずだ。こんな時何点くらい賭けようか。ゲームが中盤戦なら90点くらい。終盤戦で、残る問題がわずかしかないなら110点全部を賭けてしまおう。というのは、もともとあなたは2位なのだから、自分がじっとだまっている限り、相手が間違えて減点されでもしないと、あなたはトップになれない。しかしチャンスカードは一気に点差を逆転できるのだから、それを利用しない手はない。もしあなたがチャンスカードに失敗しても-----もともと2位なのだから、負けて当然。間違えて減点されたら賞金が減る……なんて考えるのだろうが、大きく賭ける人が少ないのが残念だ。たかだか負けて二万円程度減るのと、トップにおどり出て海外旅行のチャンスと、どちらが魅力的だろうか。負けたところで死ぬわけじゃないので、常に優勝のために前向きの姿勢でドーンと行くべきだ。特に女性はセコくて、チョボチョボの点しか賭けない人が多い。トップが200点で自分が120点の時、全部賭ければ逆転するのに、50点くらいしか賭けない人がいる。間違えても賞金をもらおうとの算段だが、たった一万四千円もらうのと240点で、うまくすればそれ以上の点で(賞金で)海外旅行へ挑戦になるのと、どっちがいい? だったら全部賭けたほうがいいでしょ。TVを見ていても、セコく賭けた人が正解してもちっともおもしろくない。全部賭けた人がバーンと答えると実に見事である。万一0点になってもさわやかだ。特に男性でセコく賭ける人はみっともないので大きく出てほしい。

 終盤戦で自分に指名権がまわってきて、しかも2位以下ならチャンスカードが隠れていそうなジャンルを指名するのも、ひとつの手。うまくチャンスカードにあたれば、たとえ得意なジャンルでなくても全部賭けよう。それがトップになるチャンスなのだから。

 

クイズギネスブック

 数あるクイズ番組の中での、輝かしい記録をギネスブック風にまとめてみた。局側の資料でなく、当方の収集したものなので、完全ではないが、お許し願いたい。(敬称略)

クイズグランプリ最高得点

 田無市の早大生、坂本恭樹は1980年10月24日のチャンピオン大会で1120点をマークした。20点から100点までの、通常の倍の得点のあるゲームだった。

クイズグランプリ日本一

 1975年3月に行われた「日本一決定戦」に優勝したのは司法修習生(当時)の北本修二である。彼はQ&Qで100万円を獲得したこともある。

クイズグランプリ最悪点

 マイナス二四○点をとった中年男性は、答えたものすべてが間違っていた。

 

アップダウンクイズ最短優勝

 10問答えると優勝するこのクイズで、1967年9月17日、12問出題で10問解答者が出た。78年12月17日には14問でハワイ行きが出た。

パネルクイズアタック25パーフェクト

 25枚のパネルをすべて自分の色にするパーフェクトは、1977年10月2日、中大生(当時)の清水敬子が4回も「お立ち」になったすえに達成した。彼女の色は白で、フィルムクイズの答えはサトウハチローだった。

アタック25最少パネルでの優勝

 25枚のパネルのうち、最低7枚を獲得しなければトップになれないが、1977年3月13日、福両県春日市の渡辺博は7枚同士の同点決勝でパリ挑戦権を得、フィルムクイズをギリギリで答え、優勝した。

クイズタイムショック全問正解チャンピオン

 何名かいる全問正解者の中でも、仙台市の石川政春は1977年9月22日と、1978年8月30日の2回全問正解をしている。記憶の限りの全問正解者の名を挙げると、木村康子、丸山美緒、斉藤佰子、塚本みほ、村田栄子、神山真弓、字佐美真知子、間島健、長根尉……。

クイズ最多出場

 おそらく名古屋市の藤原(現姓五島)滋子であろう。U局制作のものや、大阪ローカルのもの、さらにクイズダービーにもと、その出演ぶりには目を見張る。彼女は9回優勝している。

最小努力での優勝

 広島大生の岩木由美子はハガキ一枚で1977年2月6日、アタック25に出場、5回答えただけで優勝した。勉強などはいっさいせず、録画終了後、駅の売店で、クイズの本があるのを知ったそうだ。さらにハガキ一枚で1977年9月11日のアップダウンに出場、優勝した。この時も事前の勉強はしなかった。

 

 

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