TVクイズ大研究

TVのクイズ番組を裸にした本!
数々の番組で優勝を続ける筆者が、自らの経験と頭脳からあみ出した、本当は公開したくない、
TVクイズ攻略のまる秘カリキュラム一挙公開!

©北川宣浩 1981
ウルトラクイズ

第7章 特別番組 アメリカ横断ウルトラクイズ


ウルトラクイズ


常識をくつがえすおもしろさを"第1回"に見た


 1977年はじめ「史上最大ジャンボクイズ」という企画が生まれた。それは、日本全国から挑戦者を募り、アメリカ大陸を横断させつつ総計千問のクイズを出し、敗者は罰ゲームののち、日本へ強制送還。勝者のみが先へ進める。最終地はニューヨークで、優勝者"キング・オブ・クイズ"は信じられない賞品を受けとる−−という途方もないものだった。

 罰ゲームの案には、
〈グアム〉
勝者は爽快なトローリングを楽しむ。
敗者は海に投げ込まれ、浮き輪につかまりひきずりまわされる。サメの群れが追いすがり……。

〈アトランタ〉
勝者は一流レストランでフルコース。
敗者はウエイターとして勝者にサービス、皿洗い。

〈ニューヨーク〉
勝者は豪華な賞品に囲まれ、ミス・アメリカがドアを開けて待つオープンカーで市内をパレード。そして美女の待つプレイボーイクラブでのパーティーに。敗者は恐怖のニューヨーク市警へ連行されブタ箱へ……。

 この奇抜なアイデアに議論は続出したが、当初だれもがこのようなものが実現でき、成功すると思わなかったという。そして「史上最大! アメリカ横断ウルトラクイズ」と改題され、9月2日、後楽園球場でスタートを切った。

 さて、前例のないクイズなのに、よくも全国から423名が後楽園まで来たものだと感心する。特に羽田での国内第2次予選は人を喰ったジャンケンであり、荷物をまとめて朝早くから集まった挑戦者のとまどいはかなりなものだったろう。その後のコースは、詳しくはウルトラクイズの本を読んでいただくことにして、

 1、飛行機内(800問のペーパーテスト。40名が30名に。トップは712点、89%の松尾清三氏)

 2、グァム・ヒルトンホテル前砂浜(○×クイズ。30名が20名に)

 3、ハワイ・ヨット船上(一対一の早押しクイズ。20名が10名に。敗者は穴のあいている手こぎボートで空港へ。問題を予想以上に使ってしまい、スタッフは日本に電話して、四百問ほど送ってもらったとか)

 4、サンジエゴ・シーワールド(世界一の大女、カーター大統領のそっくりさんなどを迎えての、インスピレーションクイズ。10名が6名に。敗者はシャチにキスされる)

 5、フェニックス・砂漠(早押しクイズ。間違えると灼熱の下を走らされる。6名が5名荷。敗者は歩いて空港へ。そこへ車が来て乗ったはいいものの、銃でおどろかされ……ドッキリカメラでした)

 6、ダラス・カウボーイランチ(早押しクイズ。5名が4名に。敗者は荒れ馬で空港へ)

 7、ニューオリンズ・ショウボート上(音楽を聞いての早押しクイズ。4名が3名に。罰ゲームはサムライの扮装をして街を歩かせるなど、いくつか考えていたが、敗者の女性に泣かれてオジャン。後日スタジオで、おみやげと称してビックリ箱を渡した)

  8、アトランタ・ストーンマウンテン公園(三択&早押しクイズ。3名が2名に。敗者はインディアンの襲撃にあい火あぶりに……?)

 9、ニューヨーク・PANAMビル屋上(早押しクイズ)

 かくして、初代クイズ王の栄光は松尾清三氏(京都市・当時38歳)の上に輝き、準優勝は藤原(現姓五島)滋子氏(名古屋市・当時27歳)だった。この時の賞品はラスベガス郊外の土地一二二六坪で、その大地を踏みしめて歩く松尾氏の姿は印象的だった。実際にはいまだに(80年9月現在)氏のもとに真の権利書は届いていないという。が、楽しくTVを見られた。

 ぼくはカーター大統領のそっくりさんや、各地の風景や、ニューヨーク上空を飛びまわるヘリコプターを見て驚愕。出場できなかったことを後悔し、何としても挑戦したいと思った。

 

 

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