TVクイズまる金必勝マニュアル

名人が教える150のノウハウ

©北川宣浩 1985
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8.クイズから生まれた有名人


 テレビの力は大変なもの。視聴者参加のクイズ番組でも、何回か出ていると世間様に顔を覚えられてしまい、このぼくでさえ、知らない人から声をかけられるのもしばしばです。だからクイズが縁で有名人になってしまう人がいても不思議ではありません。

例えば女優の宮崎美子さんは週刊誌の表紙の女子大生シリーズに出てから有名になりましたが、それ以前、78年9月24日のアップダウンクイズ15周年記念全国大会中・南九州沖縄地区大会に熊本大学のフツーの学生として出場したことがあります。この時の成績は5問とふるいませんでしたが、のち、女優となってからの83年8月14日、今度はアップダウンクイズ20周年記念全国大会近畿地区大会のシルエットゲストとして出場しました。クイズマニアの中には将来偉くなってシルエットゲストに出たいという者がいるくらいです。

 また、囲碁棋士の小山鎮男さんは、70年代に最も活躍した知る人ぞ知るクイズの強豪。氏はテレビ慣れしていたためかNHK囲碁講座の講師になり、素人さんは出れない「連想ゲーム」にも出演しました。

 それから、85年1月に、アップダウンクイズで3週勝ち抜きをした中央大学理工学部の石野まゆみさんは、ハキハキした活発な答えぶりがNHKの目にとまり、科学万博のレポーター役で毎週テレビに出るようになってしまいました。さらに、就職浪人の道蔦岳史君は、クイズのボードゲーム「パタック」のデモンストレーターとして、晴海のおもちゃショーに出演。「クイズ荒らしナンバーワン」という肩書の名刺を配り、人寄せパンダだと言う周囲の声を意に介せず、本人自ら「日本初のプロクイズ荒らし」と称して活躍?しています。

 学生クイズマニアのなかには、クイズに出てテレビ局に入りたくなり、テレビ局に就職してしまった者もいます。例えば、日本テレビのアナウンサー増田隆生さんは、関東地区の方ならローカルニュースなどでご覧になったことがあるでしょうが、彼はかつてのクイズマニア。日本テレビ入社目前の82年1月にも、パネルクイズアタック25に出てハキハキと答え、アナウンサーの素質を見せています。この時はトップになったもののフィルムクイズができず、優勝を逃しました。また、フジテレビの深夜番組オールナイトフジで、女子大生にいじめられいつのまにか姿を消した森ディレクターは、中央大学クイズ研究会の会長だった森英昭さんその人。

 ウルトラクイズは出場者の印象が強いため、有名人になった人が数多くいます。第8回ウルトラクイズで活躍した通称「百合もなか」こと奈良哲弥さんはその体験を買われ、地元の成人式で講演をしたそうです。さらに準優勝したS君は、同番組を見たある映画監督にみそめられ、テレビ映画の主役になってほしいとの打診がありました。その映画はなんと「金属バット殺人事件」。残念ながら、S君は断ったそうですが。

 

 

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