アメリカ横断ウルトラクイズ
クイズ王の本

歴代クイズ王が語るウルトラクイズ必勝法
「知力・体力・時の運」次のクイズ王はあなた!かも、しれない?

クイズ王の会/篇
©北川宣浩・森田敬和 1987
グアム

度肝を抜かれたクイズ旅………第1回/松尾清三(2)

半信半疑でいざ東京

 あれは38歳のときでしたので、77年の初夏と思いますが、ある日、クイズ仲間から「なんだかよくわからないが、でっかいスケールのクイズ番組があるから出てみないか」とお誘いを受けました。これがウルトラクイズで、とにかく、クイズをしながらアメリカを旅行させてくれるというふれこみでしたから、キツネにつままれたような気分のまま、後楽園球場まで行きました。
さあ、後楽園へ行ったらたいへん。ぎょうさんな人がおるんですわ。404人だったそうですが、雰囲気に呑まれた私には1000人にも2000人にも見えました。なにしろ普通のクイズの予選なんて100人集まるのがいいとこでしたから。クイズに優勝しないのにアメリカへ行けるとなると、大勢の人が集まるもんやなぁと思いました。観客席に座らされ、○と×の紙を渡され、○×クイズになりました。

「上野動物園のパンダ夫婦の名は、リンリンとランランである」
こんな問題から始まって、いくつも問題がでました。私は旅行中ずっと川柳をひねっていましたので、お目汚しに紹介しながら進みましょう。


スタンドに ○×2つの 花が咲き(後楽園球場)
間違えたら即座に退場です。顔なじみのクイズ仲間たちも悲鳴をあげ、次々脱落していきました。80名の合格者の中に入ったときは、本当に運がよかったと思いました。さあ、来週は羽田空港へ集まらなくてはなりません。一度京都に帰り、まだ健在だった親父に仕事を頼み込み、旅支度をして再び東京にまいりました。

何から何までびっくりし

今では当たり前となったジャンケンも、最初なのでたいへん面喰らいました。

ジャンケンに 肝がつぶれて 悲鳴あげ(羽田空港)
いい年をして、グーだのパーだのに一喜一憂。これに勝ってやれ嬉しやと飛行機に乗り込めば、朝食も食べさせてもらえずに、いきなり800問のペーパークイズです。制限時間60分。一問当たり4・5秒の割合。必死の形相でクイズと格闘です。

八〇〇問 朝飯前に サッと喰い(グァムへの機内)
千鳥足 これはたまらん カタマラン(ハワイ)

ハワイでは揺れるカタマラン船の上での一対一の早押しクイズでした。

ガセネタに 歓喜の手を振る アホが居り(サンディゴ)
このガセネタとは、カーター大統領のそっくりさんのことです。国民学校世代の私は、偉い人を見ると無条件で感激してしまうところがあり、黒塗りのクルマから大統領が現れたときは懸命に手をふってしまいました。しかも「私は誰でしょう」という問題に、迷わず「本物」と答えてしまいました。今でも酒の肴にされて、皆の笑いの種にされておりまする。トホホホホ。末代までの恥ですわ。

はよ走ろ サボッテンなんか いられるか(フェニックス)
ここでのクイズは早押しクイズで、お手付きをしたり全員が答えられなかったりすると、30m後ろにあるサボテンを一周しなければなりません。おまけに勝ち抜けメダルをもらうまでは水は一滴も飲ませてもらえません。砂漠の炎熱に全員グロッキー。「もういやっ」と気丈な藤原(現姓五島)滋子さんもなきべそをかいておりましたっけ。

一人減り 二人減りする 夕餉かな(ダラス)
ショーボート さあ出まショーと ボーと鳴き(ニューオリンズ)
健闘の 遠藤ついに ザ・エンドー(アトランタ)

アトランタで、最も若い挑戦者の遠藤君が落っこちてしまいました。旅慣れていた若い彼はいつも元気で、夜遅くまで1人で遊んでいたのが印象的でした。ここでは勝ち抜けのお祝いに当時人気のあったプロレスラー、マクガイヤー兄弟の太い腕にだっこされ、ああニューヨークへ行けるんだ!……このときが3週間の旅の中で一番感激した一瞬でした。

公共の宿

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