アメリカ横断ウルトラクイズ
クイズ王の本

歴代クイズ王が語るウルトラクイズ必勝法
「知力・体力・時の運」次のクイズ王はあなた!かも、しれない?

クイズ王の会/篇
©北川宣浩・森田敬和 1987
サンフランシスコ

友と語り合った旅………第3回/宗田利八郎(3)

ぴったりの賞品をもらう

 優勝を意識したのはニューヨークに着いてからです。いままでのチェックポイントでは、もう一つ先へ進めばいいと、ただそれだけを望んでいましたが、ニューヨークの高層ビル街を歩いて、ここまで来たのだから、と闘志が沸いてきました。

 決勝戦の相手は当時18歳の浪人、田上滋君。若いのにかかわらず、いろんなことをよく知っている強敵でした。それもそのはず、機内ペーパークイズでは同点5位の仲。
 あとからビデオを見ると問題にも恵まれていたようですが、とんとんと答えて、優勝できました。ここまで来たのだから何が何でも、という強い気持ちと、過去にベルトクイズQ&Qに優勝していた経験が、最後に物を言ったのかもしれません。

 優勝賞品は競馬の競走馬1頭。実は大学時代に落語研究会に入っており、そこでの高座名が狂亭競馬(きょうていけいば)。文字どおりのギャンブル狂なんです。そしたら賞品が競走馬なんですから、友人からはあんなぴったりの賞品はない、なんて言われてしまって、まったくそのとおり。うれしかったですね。日本では、いろいろな制約があって競走馬のオーナーになるのは難しいんです。それがこんな具合に実現してしまったのですから。
 残念ながらあの馬は手放してしまいましたが、いつかまた競走馬のオーナーになろうと思っています。馬の、あのやさしい目がなんとも好きなんです。

多くの友人ができて

 この旅で、世代や性別・職業を越えて、とても多くの人と知り合うことができました。おもしろい奴、いい奴、かわいい子、いやな奴……。何人か印象深い奴を紹介してみます。

 やはり勝負の世界なのでしょう、旅をしていてジンクスみたいなものが生まれてくるんです。ハワイでは第1回と同じように、カタマラン船の上で一対一の早押しクイズでした。僕の相手は北畑治君。彼は第1回の時も、ここハワイまで来ている強敵なんです。しかも対戦相手は優勝した松尾さん。相手が優勝したなら北畑君もあきらめがつくでしょうが、なんと今回彼の相手は僕。僕も優勝したわけだから、彼の対戦相手は2度とも優勝者。そうなると北畑君の相手をすると優勝する、というジンクスになりませんか。こういうことが重なると、彼は逆にあきらめがつかないんじゃないかな。

 それからグランドキャニオンまで行った田中博幸君。彼と同室した人は必ず落ちるというジンクスがあって、自ら「死神」と名乗るくらいでした。だからみんな田中君と同じ部屋になるのはイヤと、部屋割りをする近畿日本ツーリストの小出さんを困らせたものです。グランドキャニオンで落ちてくれて一同胸をなでおろした、というところです。
 中でも一番の収穫は、若い人を見る目が変わったことでしょう。それまで僕は、自分より若い連中とつきあう機会があまりなく、あっても世間知らずの人間ばかりで、いい印象を持ってなかったのです。でも、マイアミまで行った高山聡君、彼は今までの若者の印象を払拭させてくれるさわやかさがありました。大変礼儀正しく、僕の目からみて本当にいい奴でした。近頃の若い者にもしっかりしたのがおるわいと、彼のおかげで長い間の偏見を捨てることができました。

 さらにぼくら挑戦者の結束はたいへん固く、アラモアナクラブという集まりまで作りました。これはハワイで泊まったホテル、アラモアナホテルからとった名前ですが、結成当初は後楽園が近づくと合宿までしていたほどなんです。しかし当時の仲間はいまやほとんど社会人か人妻。みんな忙しくなって、合宿や忘年会どころではなくなりましたが、それでもみんなが年に一回会える場所、それがウルトラクイズの後楽園球場なんです。そんな意味からも、いつまでもウルトラクイズは続けて欲しいですね。

新しい人生も拓ける

 ウルトラクイズ出場は、その後の僕の人生をいろいろと楽しく、ハッピーにしてくれました。地元福島県棚倉町の商工会青年部で、小学校の高学年を相手に、棚倉縦断ウルトラクイズをするようになったんです。小学生とバスに乗って、近所の観光名所をまわりながらクイズをする、まぁ、地元のお祭りなんですが、これのクイズ問題作り、司会進行とやるのはすべて僕一人。大変といえば大変ですが、勝ち抜くと段ボール紙で作ったメダルをかけてやるんです。子供たちはテレビに出たブッチャーからごほうびをもらったと、それは大喜び。その笑顔が励みになり、問題作りは大変だけれど、これからも長く続けたいと願っています。

 第6回の後楽園でちょっと紹介しましたが、僕も結婚して子供が生まれ、息子の佑一郎が4歳、娘の由実が3歳になりました。あと何年かしたら僕の子供たちも棚倉縦断ウルトラクイズに出場できます。親父である僕が企画したクイズに子供たちが参加してくれる日が、今から待ち遠しいですね。

 他のクイズ番組にもいくつか出させていただきましたが、ウルトラクイズに優勝してからは僕に対する反応が違うのです。ものすごく偉い人みたいに思われてしまって……。パネルクイズアタック25に出たとき、司会の児玉清さんが「うちの娘があなたのファンなんですよ」なんておっしゃってくださり、なんだか照れくさく、困惑してしまいます。

 そうです、僕はあくまで普通の人なんです。人生を気楽に生きてきました。そして気軽に出たウルトラクイズでハッピーになれました。勝ち残るのはとっても難しいけれど、チャンスは誰にも平等にあるのです。1枚のはがきを出す。そして後楽園に行く。それだけのことです。あとはどうチャンスを活かすか、でしょう。

 

 僕はこれからも年齢がこぼれない限りウルトラクイズに参加するつもりです。みなさんもぜひ参加してください。きっとハッピーになれると思います。
年に1度の後楽園、そこがぼくらの集合場所です。

 

 

公共の宿

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