アメリカ横断ウルトラクイズ
クイズ王の本

歴代クイズ王が語るウルトラクイズ必勝法
「知力・体力・時の運」次のクイズ王はあなた!かも、しれない?

クイズ王の会/篇
©北川宣浩・森田敬和 1987
モニュメントバレー

妻に届け、勝利の叫びよ……第6回/高橋直樹(3)

強気で勝利を手に

 そんなふうに、ピンチは何度もありましたが、なんとかニューヨークへたどりつけました。決勝の相手は青山学院大学の高木剛君。最初から一番マークしていた人でした。現役の大学生の彼は、学問的なことはよく知っていました。でも、知っているジャンルが私と違ったのが幸いだったでしょう。私はドンドン強気で攻めました。それが勝つ道だと思いました。なにしろ100kgもある体躯です。大きな声でバンバン答えました。高木君は最初につまずいたのがいけなかったのか、弱気になり萎縮してしまい、予想外に楽に優勝できました。

 念願がかなって優勝できた喜びと、旅の始終につきまとっていたプレッシャーからの解放感から、感激屋の私はポロッと涙をこぼしてしまいました。そしてパンナムビルの屋上から、ニューヨーク中に聞こえるような声で、愛する女房の名を思いっきり叫びました。

「潤子ーっ、やったぞー」と。

思い出の土地へ向かって

 優勝賞品は世界一周旅行。パンナムビルからロールスロイスに乗ってケネディ空港へ直行。イタリアのローマとギリシャのアテネは順調にいきました。旅行中、私は一つのテーマを決めました。それは訪れた土地ごとの夕陽を見ることです。しかし、エジプトのカイロではビザを取るのに手間どり、夕陽を見ることができませんでした。しかも、あくる日インドのニューデリーへ向かうエジプト航空のトイレが故障。乗り換えの飛行機に間に合わず、中継地であるアラブ首長国連邦のドバイで一泊してしまいました。さらにドバイ空港でラジオ体操をしているシーンを撮影中、突然軍隊に銃をつきつけられホールドアップ。ああいう国ではウルトラクイズなんてシャレは通用しないんですね。重要拠点である空港で怪しい行為をしていると、パスポートやビデオテープまで没収されてしまいました。

 やむをえずインドへ行くのは中止にして、直接タイのバンコクへ行きました。バンコクでもスタッフの1人が病気になるなどのアクシデントがあって、この旅行は賞品なのか罰ゲームなのか、わけがわかりませんでした。

 次はいよいよ香港です。実は、私が女房の潤子に最初に出会ったのもここ香港で、人生の中でもっとも思い出深い土地なんです。

 香港へ向かう機内で地球儀に線を引くと、懐かしさが込み上げてきました。あのころ女房は大学の講師をしていて、学生さんを引率して香港へ来ていたのでした。そのときの添乗員が私。一目見て感じるものがあり、わずか3ヵ月で一緒になりました。けれど親の猛反対にあい、半ば駆け落ち同然の結婚でした。香港の街も人も、屋台の食べ物の味も変わっていませんでしたが、違うのは私の脇に潤子がいないことだけでした。

 ニューヨークから成田まで、8日間の気ぜわしい旅が終わりました。成田空港へは、おふくろと女房、4歳になっていた娘の美穂と、生後3ヵ月の息子の巧まで、一家総出で出迎えにきてくれました。こんなにうれしかった帰国は初めてです。この出迎えの模様はテレビに映すつもりだったらしく日本テレビから家族に話がいっており、おふくろもいい着物を着て来たんですが、結局放送では全部カットされていてガッカリされました。

娘とともに出る夢

 静岡という土地柄でしょうか、放送が終わってからの反響もすごく、書店に入ると高校生に取り囲まれてしまったり、飲み屋へ行くと10人位の女の子の団体から「高橋さーん」とコールがかかったりで、一躍町の人気者になってしまいました。

 しかし、私の心の中にはそんなにぎやかさとは裏腹に、1人で世界一周をしてしまったさびしさがあったのは事実です。今度は愛する家族と一緒に旅行をしたい。世界一周は無理でも、まだ行ってないハワイくらいは……と思ってます。

 阿波踊りではありませんが、ウルトラクイズを見る阿呆に出る阿呆、同じ阿呆なら出なきゃソンソン。このクイズの本当のおもしろさすごさは、出ないとわかりません。

 西暦1996年、娘の美穂が18歳になります。そのとき私は43歳。娘はいやがるかも知れませんが、親子一緒にウルトラクイズに出るのが私の夢です。あの独特の、出た者でなくてはわからない雰囲気を娘にも感じて欲しいから。

 皆さんも、テレビを見ているだけでなく、ぜひ参加してください。すてきな出会いがあるでしょう。

 

 

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