アメリカ横断ウルトラクイズ
クイズ王の本

歴代クイズ王が語るウルトラクイズ必勝法
「知力・体力・時の運」次のクイズ王はあなた!かも、しれない?

クイズ王の会/篇
©北川宣浩・森田敬和 1987
パンナムビルニューヨーク

スタッフが語る、ウルトラクイズ秘話(4)

困ったことはあまりないけど

 10年間、事故らしい事故もなく無事撮影が終了していますが、それでも小さな困ったことは起こります。まず問題が足りなくなること。1万問作って1000問に厳選した問題も、挑戦者のできが悪くてパスや誤答が積み重なると足りなくなります。そんなときは急遽現地で作ったり、日本から航空便で取り寄せます。また、体力クイズは予想以上に時間がかかり、あとのスケジュールが気になることも。

 それからケガや病気。第5回ではグァムのドロンコクイズで挑戦者が首をひねりドロの中で動けなくなる事故があって、さらに見本を見せると飛び込んだプロデューサーまでもが、同じく首をねじってドロまみれで失神する事故がありました。第7回ではカナダで撮影中挑戦者が結石になって日本に帰りました。もしも挑戦者の誰かが欠けても撮影が続行できるように、ニューヨーク直前まで1人余分に行かせているのにお気付きですか。普段は1人しか落ちないのに、直前の都市では2人まとめて落ちているでしょう。また、福留さんの健康がすぐれないこともあり、第7回・第8回では石川牧子アナウンサーが、第9回以降は日高直人アナウンサーが、万一の場合は代役できるよう同行しています。

 スタッフが今までで一番たいへんだったロケ地は第8回のバハマ。人類初の海中早押しクイズで、スタッフは3時間も潜っていたため、カメラマンなどは潜水病になりかけました。

 それから思わぬハプニングもありました。第10回のグァム行きの飛行機は○機と×機の2機でしたが、○機にサイパンから乗り込んだ別のお客さんが、機内で亡くなってしまったのです。グァムの病院へ移送される病人で、苦しんでいるため前の席にいた挑戦者と席を替わったりしているうち、グァム到着直前に事切れてしまいました。つきそいの家族は号泣するし、かといって○機は勝者の乗っている飛行機なので喜びのシーンを撮らなくてはならないし、本当に弱ったそうです。

絶賛のウルトラクイズ

 ウルトラクイズには多くの賛辞が寄せられましたが、中でもアメリカの20世紀フォックステレビ社が全米ネットのテレビ局NBCを通じて、アメリカ版ウルトラクイズを作ったのは特筆に値するでしょう。今まで日本のクイズ番組はアメリカのマネばかりで、文化的には後進国でした。ところが1981年、NBCの朝のニュースショーで紹介されたウルトラクイズに興味を示した20世紀フォックスの副社長は、さっそく日本テレビからビデオを取り寄せて見てみました。そして「調和のとれた番組だ。クイズの娯楽的要素と、行く先々の風物を紹介する情報の要素、そして勝者と敗者の人間ドラマなどがうまく溶け合っている」と絶賛。アイデアをそのままいただいてさらにスケールアップ、「世界一周ウルトラクイズ」として全米で11月に放送されたのです。

 内容は1000人の参加者がロスのドジャーズスタジアムをスタートとして、ギリシャ、ローマなどを回るツアー。優勝者には10万ドルが進呈されました。準優勝は日系人で決勝は生中継されたそうです。しかしこれを見たウルトラスタッフの感想は、アメリカの挑戦者は日本のようなひたむきさがなく、みんなが視聴者受けだけを狙ったショーマン過ぎた。人間の部分が出ず、人間ドキュメンタリーになってなかった、という批判的なものでした。さらに司会者がコメディアンで自分たちが目立とうとしたのが鼻についたそうで、向こうにはトメさんがいなかったんだよなー、としみじみと洩らしていました。

 その他、ウルトラクイズは世界各国のテレビで紹介されており、ロンドンに住む日本人がテレビから日本語が聞こえるのでよく見たら、ウルトラクイズの紹介をしていたとか。

 さらに1987年は白井博審査委員長が、日本のテレビ界のアカデミー賞と言われるギャラクシー賞をウルトラクイズで受賞。クイズ番組で取るなんて珍しいと、スタッフ一同喜んでいます。

 

 

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