アメリカ横断ウルトラクイズ
クイズ王の本

歴代クイズ王が語るウルトラクイズ必勝法
「知力・体力・時の運」次のクイズ王はあなた!かも、しれない?

クイズ王の会/篇
©北川宣浩・森田敬和 1987
デュランゴ・シルバートン狭軌鉄道

一生の中で最高の体験………第7回/横田尚(2)

信じられない好スタート

 僕は東京新宿で家族と共に旅館を営んでいますが、成田へ行く日も、家族はどうせすぐ帰ってくるんだからとまったくあてにしてくれず、普通ならおみやげの注文の一つもあっていいのにそれもなく、かえって気楽でいいやと新宿をあとにしました。

 成田のジャンケンではすごく舞い上がってしまいました。自分があのウルトラクイズでジャンケンをしているのだという実感よりも、目の前に本物のトメさんがいるんだという事実だけで、ハイな状態になってしまったのです。しかも僕のときのジャンケンには一工夫があって、50組のうち10組は、ジャンケンに負けたほうが飛行機に乗れるというものでした。僕はジャンケンに弱いので、「負けが勝ち」になればいいのにと念じましたが、「勝ちが勝ち」になってしまい、つまり普通のジャンケンをすることになったのです。

 これはもうだめだ、心臓の音が聞こえるくらいあがっているし、ジャンケンに勝たなきゃいけないとあせりましたが、こればっかりはわかりません。ちゃんと勝ってしまったのです。

 興奮もさめやらぬうちに飛行機へ乗り込みました。上昇を続けていた飛行機が安定飛行に移ると、さっそく400問ペーパークイズが始まりました。狭い機内で必死になって問題に取り組みましたが、時間がたてばたつほど、僕を落ち込ませていきました。とにかく時間がないのです。ずいぶん適当な番号にしるしをつけてしまいました。

 自信もなくグァムの空港に下り立つと、これがまさかの1位。うれしいよりもビックリ。このグァムではもう一つ趣向があって、前の年82年暮れに行われた「ウルトラクイズ史上最大の敗者復活戦」で勝ち残った札幌の佐藤麻利子さんがシード権を獲得して、ここグァムまで来ていたのです。グァムに残れるのは40人ですから、41位の人と佐藤さんとの○×クイズマッチプレイが始まりました。するとこともあろうに、敗者復活戦ではかつてのクイズ王までもを敵にまわして勝ち残ってきた佐藤さんが、あっさりと負けてしまいました。クイズはやってみないとわからないものだと、つくづく思いました。

スタッフの策略に脱帽

 翌日、泊まっていた第一ホテルから、ヒルトンホテルのビーチまで連れていかれました。ヒルトンにはスタッフが泊まっており、そのビーチにはあのドロンコクイズの用意がされていました。昨夜徹夜して穴を掘ってドロンコクイズに備えたそうで、我々に気付かれまいとホテルを変えるとはさすがスタッフ。

 このドロンコクイズで僕はいきなりドロンコになってしまいました。そう、負けたのです。敗者席で、あとの人がドロンコクイズをやっているのを、ドロにまみれて見ているのはどうにも不思議な気分です。勝った人の喜ぶ姿はそれなりに嬉しく、また、負けた人がこちらに来るのを出迎えるのは、なんとなく気恥ずかしい気分。ああ、明日からまた東京、仕事か……。と新宿の町がちらつきましたが、ドロンコになった人が多すぎて、ハワイ行きを賭けた敗者復活戦が行われることになりました。

 その敗者復活戦はドロンコの中で番号札を取り合うドロンコ数字当てクイズ。これに勝って、ハワイまで行けるようになったのです。一時は東京へ帰る覚悟をしたのに再びツアーを続けられるのは嬉しくもあり、またあのたいへんなクイズが続くのかと思えば気が重くなるような、複雑な気持ちでした。

 その夜、乗継便の関係で一度成田へ戻り、ハワイへ向かいました。なんともせわしない旅行です。そのためハワイの通関で一悶着ありました。ハワイに着いた日の1日後の日付で日本人が成田ならぬグァムを出国しているので、通関の係員がチンプンカンプンになってしまったのです。日付変更線のいたずらなのですが、普通の旅行なら、成田−グァム−成田−ハワイなんていうこんなバカなコースを2日で行くことはないですから、ウルトラクイズならではの事件でしょう。

 グァムやハワイではバス観光の連続でした。グァムでは恋人岬や自由の女神像。ハワイではヌアヌ・パリやパンチボウルの丘などを観光させてもらいました。「これは待遇がいいなぁ。クイズはキツイけれどそれ以外はタダで観光できるんだから最高だ」「でも、バスに乗ってばかりでなく、海で泳ぎたいなぁ」と仲間同士で話し合っていたのですが、これがとんでもないくせもの。観光旅行はわれわれへのサービスではなく、ハワイで行われる罰ゲームに備えた、スタッフの壮大なる陰謀だったのです。

 ハワイでは綱引きクイズをして、中には手の皮をすりむいた人まで出たのですが、僕は比較的楽に抜けることができました。しかし敗者に科せられたその罰ゲーム。それは身体に「日本の恥」とか「ミジメ」とか書かれた文字のシール、あるいは男性にブラジャーをさせるとかして、日焼けさせるものでした。ようやく、どうしてグァム・ハワイでバス観光ばかりしていたのかわかりました。つまり、勝手に泳がれて先に日に焼かれたら困るでしょう。最初から日焼けしていたのなら、文字が身体に焼きこめないじゃないですか。そのため勝手に遊ばないよう、われわれをバスに閉じ込めていたんです。このスタッフの遠大な作戦に、一同ただただ脱帽しました。

 

 

公共の宿

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