アメリカ横断ウルトラクイズ
クイズ王の本

歴代クイズ王が語るウルトラクイズ必勝法
「知力・体力・時の運」次のクイズ王はあなた!かも、しれない?

クイズ王の会/篇
©北川宣浩・森田敬和 1987
デュランゴ・シルバートン狭軌鉄道

一生の中で最高の体験………第7回/横田尚(3)

アクシデントが次々と

 ハワイからシアトルへ。そこからバスで7時間、ウルトラクイズ初めてのカナダへ入りました。長いバス旅でグッタリしていたのですが、そこで見たカナダの景色。森と湖。澄んだ空気と高い空。月並な表現しかできないのが残念ですが、旅の疲れとクイズのプレッシャーを吹き飛ばしてくれる、それはそれは素晴らしいものでした。新婚旅行はカナダ、そう決めた挑戦者もいたようです。

 けれどバンクーバーではとんでもないことが起きてしまいました。深夜、ホテルで同室の山手線の運転手をしている金子正志さんが、おなかを抱えてウンウン苦しみだしたのです。あわてて同行のドクターを呼んで診てもらったところ尿管結石らしいとのこと。翌日カルガリーの空港でも痛い痛いと繰り返し、痛み止めの注射も効きません。土曜日なので、病院が閉まっており、スタッフも苦労したようでした。やっと開いてる病院が見つかったようで、金子さんは去っていきました。もうこれ以上クイズは続けられないとのドクターの判断で、金子さんは夕方の飛行機で帰国。苦しみながらもがっかりしていた金子さんの姿を見て、僕は金子さんの分までがんばろうと誓いました。みんなも同じ気持ちだったに違いありません。

 次のジャスパーでは、まさしく氷河の中でクイズが行われました。ものすごく寒かったけれど、氷河のすごさは期待以上のものでした。
しかしあとで行ったデスバレーは、気温が50℃もある、熱さを越えたところ。石で目玉焼きはできるし汗は蒸発するし、文字どおりの死の谷でした。ここのクイズでは、間違えると後方20mにあるバッグまで行って、なにか服を着なくてはなりません。あの大氷河の寒さが懐かしく感じられました。

 その後、レイクパウエル、セントルイス、ナイアガラと勝ち進み、オルバニーでパラマキクイズをしました。この旅で一番苦しくたいへんだったのがこのクイズです。ホテルから目隠しをさせられ、バスで移動。バスを降りて目隠しをはずすと、何もないはらっぱ。なんだなんだと待っているうちに空から飛行機が。ここは飛行場だったのです。スタッフは我々が驚く表情を撮るために、目隠しをしてここまで連れてきたのでした。いままでもいろいろありましたが、スタッフの策略にはあきれるばかりです。

 4人でのパラマキクイズになりましたが、1人抜け2人抜けして、残ったのは僕と紅一点松本真代ちゃんになってしまいました。日頃の運動不足がたたったのか大苦戦。タッチの差で勝ち残ることができました。

 しかしナイアガラからオルバニーにかけて、とても悲しいことがありました。僕たちがナイアガラにいるとき、以前から具合の悪かった真代ちゃんのお父さんが亡くなっていたのです。夏休み中看病をしてアメリカへ来た真代ちゃん。こちらから何度も電話して、容体を聞いていたようです。たいへんなことなのだからすぐに帰国すればいいのに、真代ちゃんは頑張って勝ち進んだ方がかえってお父さんに喜んでもらえると、オルバニーまでコマを進めたのです。

 僕は真代ちゃんよりも若いとき、父を亡くしました。その悲しみは痛いくらいにわかります。しかも僕には真代ちゃんと同じくらいの妹もいて、あのときの妹の姿ともだぶりました。日本から遠く離れて父の訃報に接したならどうするでしょう。背中に翼が欲しいと思うでしょう。一刻も早く帰りたいと思うでしょう。それなのにクイズにチャレンジするために、さらに遠くに行った真代ちゃん。素晴らしいファイトでした。あとで知ったのですが、彼女と僕は遠い親戚とわかりました。世の中って狭いと、つくづく思いました。

懐かしさを感じたニューヨーク

 ボストンを経て、ニューヨークに着きました。新宿の僕の家の玄関を出ると、西口にある超高層ビル群が見えるんです。だから、ニューヨークの高層ビルの間を歩いていると、懐かしいような、なんだかホッとする気がしました。

 その安堵感が決勝戦ではいい方向に向いてくれたのでしょう。相手の方は成田空港にお勤めの渡辺晶夫さん。僕より3つ年上で、非常に真面目で知識も豊富、そして二枚目。実力では僕より数段上の人でした。ただ、とても繊細な方で、パンナムビルの上ではガチガチにあがってらしたようです。僕はなんとなく地元でクイズをしているような地の利があったのか、比較的落ち着いてクイズができました。そして「現存するもっとも大きい両生類は何」という問題に「オオサンショウウオ」と答えて、1000問近いクイズのすべてが終わったのでした。ここまでにいろんなクイズが出ましたが、やはりこの問題が一番印象深く、「オオサンショウウオ」は生涯忘れることのない単語となるでしょう。

 優勝のインタビューはしどろもどろ。カメラが目の前に来て、なにを答えたかよくわからないありさまでした。

ログハウスの夢

 再びバンクーバーへ飛びました。賞品の丸太の家、ログハウスをもらいにです。バンクーバーからさらに山奥へ入りました。冬には熊が出るくらいすごい山奥です。そこで素晴らしいログハウスを見せられました。これが僕のものか……、なんてもうだまされませんよ。正確にはログハウスを作るための丸太60本が僕のものとなりました。ここではログハウス作りのプロに来ていただき、ログハウスを作るてほどきを受けました。練習用として、小さな小屋を作りました。

 それよりもうれしかったのは、土地の人の素朴な親切です。日本からクイズのチャンピオンがわざわざ来たと、Tシャツや自分の使っている斧までいろいろなものをプレゼントしてくださったのです。撮影が終わってから、町長さんや見物に来た町の人、地元紙の新聞記者、そしてスタッフらと一緒にバーベキューパーティになりました。カナダの大自然に沈む夕陽を見ながらのパーティ。こんな素晴らしい体験は初めてでしたし、もう二度とないと思います。

 日本に帰って、丸太60本の扱いにはホトホト困りました。僕の旅館の前は新宿貨物駅跡で広場になってはいますが、そんなものを置かしてくれるわけがありません。そこでログハウスの専門家にひきとってもらい、下関の無人島にみんなで遊べる家を作ろうということになりました。スキンダイビングやキャンプもできる、自然に囲まれたとてもいいところだそうです。残念ながら資金不足のためにまだできあがっていませんが、もし完成したなら、あのとき苦楽を共にした仲間と一緒に、泊まりにいこうと思っています。皆さんも遊びに来てくださいね。

 その仲間の中で、番組でいただいたファンレターが縁で結婚した人が2人もいました。そういう意味でも、番組に出たことで人生が変わるってあるんですね。結婚なんて、僕には当分先のことですが。

 でも、結婚式の祝辞ではありませんが、人間一生のうちで誰でも15分間は主役になれる、と言います。ウルトラクイズは僕にとってのそれだったのではないでしょうか。

 さあ、皆さんもウルトラクイズに挑戦してください。ウルトラクイズには、あなたが主役になれるそのチャンスがあるのです。

 

 

公共の宿

TOP