アメリカ横断ウルトラクイズ
クイズ王の本

歴代クイズ王が語るウルトラクイズ必勝法
「知力・体力・時の運」次のクイズ王はあなた!かも、しれない?

クイズ王の会/篇
©北川宣浩・森田敬和 1987
ゲートウェイブリッジ

2人で誓った世紀の対決……第8回/石橋史行(2)

ようやく国外脱出

 今年こそ、と思って参加した第8回。第1問目は「ニューヨークの自由の女神と上野の西郷さんの銅像は同じ方角を見ている、○か×か」というものでした。自由の女神が向いているのは南南東の方角であることは、第6回のゲート問題でわかっています。だから上野の西郷さんがどちらを向いているかわかれば、この問題は容易に解けるはず。そこで、入場締切までまだ時間があったので、僕と宍戸君は国電(現E電)で上野まで行き、西郷さんの銅像を確認。西郷さんは確かに南南東の方角を向いていました。西郷像のまわりには、駆けつけた挑戦者でいっぱいで、考えることはみんな同じと思いました。

 そこで自信を持って○の三塁側へ入場しました。この第8回の後楽園では一つの趣向があり、いきなり賞品が発表になったのです。それはクラシックカー。過去のクイズ王の皆さんのオープンカー入場と一緒に、賞品になる日本に1台しかないクルマがさっそうと入ってきました。確かにカッコはよかったけれど、免許を持ってない僕は、はっきり言ってクルマなんてどうでもいいと思いました。ウルトラクイズの賞品は、どうせひとくせあるに決まってるし、ウルトラクイズの魅力は賞品よりも、なんといってもあのスケールのデカさにあるからです。

 さて、オーロラビジョンに正解の○が映されたときは宍戸君と抱き合って喜びました。なにしろ1問目突破は4度目の正直だったのです。

 その後の○×クイズは2人で力を合わせてトントンと勝ち進み、後楽園を突破できたときは、ついにやった!という気持ちと、通るときはこんなものかなぁという気持ちが入り交じったものでした。

 さあ、いよいよ成田空港です。当時僕も宍戸君も学生でしたから、楽に休みをとって空港へ。ジャンケンは、チョキ、グー、チョキと出して3連勝。宍戸君も勝ち残り、2人の夢は一歩一歩近づいてきます。いや、まだまだこれからでしょう。

 機内ペーパークイズは過去に他のクイズ番組で優勝していたこともあり、落ちるとは思っていませんでしたが、タラップを降りるときはさすがにドキドキしました。それでも堂々の2位。宍戸君は3位。1位は第5回でメンフィスまで行った道蔦岳史君でした。

 グァムでのおなじみドロンコクイズ、暁の奇襲作戦・敗者たらいまわしクイズを順調にクリアし、ハワイへと向かいました。翌朝、スタッフからは朝食の時間だけは指定されましたが、クイズの指示は特になく、みんなそろっての朝食になりました。恰幅のいいウェイターのおじさんや、かわいいウェイトレスの女の子が、愛想よく料理のオーダーをとります。やけにサービスがいいな、さすがウルトラクイズの挑戦者ともなると待遇が違うなと喜んで、いろいろ料理をオーダーしました。けれど、そのうち、カメラとマイクを持った福留さんが入ってきました。そして福留さんはいかにもうれしそうな顔をして、

「オーダーした料理を、早く食べた人から有利になるクイズです」だって。

あーあ、ウルトラクイズは朝食までクイズのうちなんて。ここで行われたのは朝メシ早喰い綱引きクイズだったのです。僕は体格には自信がありますから、バリバリ食べていい位置につけましたが、身体の細い宍戸君もいい位置につけていてホッとしました。

 僕の問題では、相手チームの人が裏切って僕の方にまわって綱を引いてくれたため、簡単に解答権を獲得して、うまい具合に抜けられました。宍戸君も抜けましたが、機内ペーパークイズ1位の道蔦君が、オーダーのしすぎか僕のはるか後ろに位置してしまい、とうとうクイズの順番がまわってくることもなく、敗退してしまいました。後ろについて自分の順番が来るかどうかもわからないのに、僕たちのために一生懸命引っ張ってくれた道蔦君。本当は本格クイズで対戦してみたかったのだけれど、時の運もクイズの大切な実力の一つです。だからこの日の道蔦君は、問題を全然やらなかったけれど、ハワイを通過した12人に負けたことは、歴然たる事実と言わざるを得ないでしょう。

 

 

公共の宿

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