アメリカ横断ウルトラクイズ
クイズ王の本

歴代クイズ王が語るウルトラクイズ必勝法
「知力・体力・時の運」次のクイズ王はあなた!かも、しれない?

クイズ王の会/篇
©北川宣浩・森田敬和 1987
ナイアガラの滝

決闘、リバティ島……………第10回/森田敬和(3)

病気で知ったみんなの友情

 この頃からどうも身体の調子が冴えませんでした。身体がはっきりしないまま南米のラパスへ向かったのです。標高4080m、ただでさえ空気が薄く高山病になりやすいのに、身体の調子が良くなかった僕は高熱が出てしまいました。南米組の仲間は一生懸命に僕を助けてくれました。薬屋の大道さんと病院にお勤めの山本さんは薬のことなどで、主婦の堀さんは細かい看病を、そして若い山下君は重い荷物などを僕が運ぼうとすると「森田さん、僕が持ちます」といって運んでくれました。本当にみんなの友情には涙の出る思いでした。

 病気の僕を現地で診察してくださったのが、ドクターマルチネスです。1年間日本の病院で働かれたことがあって、片言の日本語がお出来になりました。お茶漬に海苔が大好きという日本びいきのドクターでした。

 ラパスでは酸欠早押しクイズを行いました。この時はドクターに血圧を測ってもらいながらクイズをしました。終わったあとはフラフラの状態になってしまいました。次のチチカカ湖へ行っても一向に熱は下がりません。僕はもうあきらめました。ここで負ける。でも帰る前にドクターにお礼を言わなくてはと、診察に来てくれたドクターに「どうもありがとうございました。精一杯頑張りましたが、身体がいうことをききません。日本へ帰ってもドクターのことは忘れません」と言いました。するとドクターマルチネスは僕の目を見て「あなた大丈夫です。リオ行きます。ニューヨーク行きます。私日本語うまくない、英語でいいですか」僕はハイとうなづきました。ドクターは「YOU MUST GO NEW YORK」と一言いって僕の手をしっかりと握り締めてくださいました。ありがとうドクターマルチネス。海苔を贈ります。僕のことを忘れないでください。

 ボリビアからブラジルのリオデジャネイロへ行きました。ドクターと南米の仲間の手厚い看護のおかげで僕の身体もようやく治り始め、熱はすっかり下がりました。

 南米チャンピオンを決める決戦前夜、残った山本さん大道さんの3人で一つのことを誓い合いました。「南米からは誰が勝ってもいいじゃないか。だけど南米の代表になった人はほかの山下君や堀さんの分まで頑張って、北米チャンピオンを倒そう。明日はお互いにうらみっこなしで全力を尽くそう」と。

南米組の意地をかけて

 リオではポイント略奪クイズという形式で、早押しで解答権を得ると他の人からポイントを奪うというサバイバルクイズでした。指名して他の人からポイントを取るというのはどうもいい気分のものではありませんが、3人とも昨夜の約束どおり全力で戦いました。その結果タッチの差で僕が南米チャンピオンになれたのです。

 うれしい気持ちと同時に重い責任も感じました。僕は他の4人の仲間の分まで背中にしょったことになるのです。それだけではありません。ホテルからリオの空港へ向かうバスの中で、南米スタッフ全員から「森田君をわれわれ南米班は応援しよう」という拍手と応援のエールをいただきました。その時僕は一個人森田敬和であると同時に南米挑戦者ならびにスタッフの代表でもあったわけです。

 北米からは誰が来るのか全くわかりませんでしたが、僕の頭の中には1人の男の顔が浮かびました。西澤泰生君です。彼は現在日本でも有数のクイズマニア、果たして今の僕が勝てるだろうか、そんな気持ちでニューヨークに向かいました。

 僕にとって3年振りのニューヨーク。変化の激しい都市だけど、僕の目に映るこの都市は3年前と少しも変わってないように見えました。南米スタッフも北米スタッフと合流するため、僕とは別のホテルにチェックイン。僕だけ北米チャンピオンと顔を合わせるといけないので、遠く離れたホテルへ。後楽園では17162人もの人がいたのに、今僕はニューヨークにたった1人となりました。明日の対戦を前に大都会ニューヨークを1人で散歩。感慨深いものがありました。その夜久し振りに福留さんに会い食事をしました。10日ぶりぐらいなのに何か懐かしい感がありました。明日のことを聞かれ「全力を尽くします」と一言だけいいました。

 

 

公共の宿

TOP