アメリカ横断ウルトラクイズ
クイズ王の本

歴代クイズ王が語るウルトラクイズ必勝法
「知力・体力・時の運」次のクイズ王はあなた!かも、しれない?

クイズ王の会/篇
©北川宣浩・森田敬和 1987
アーチーズ国立公園

勝つと誓って出たクイズ………第5回/真木法男(2)

完全制覇の妄想を浮かべる

 後楽園球場に入ったときは、もう感動モノでした。ああ、これがあのウルトラクイズか、○もある、×もある、福留さんもいる、過去のクイズ王もいる……。難問を切り抜け予選をパスしたときは、「よし、絶対に優勝してやる!」と、強い決意を抱きました。

 番組を見ていてよくお分かりでしょうが、体調を整えるのがウルトラクイズではとても大事です。でも、成田からいきなり失敗してしまったのです。

 予選の前の晩、空港近くのホテルに泊まりますが、一緒に合格していた友人の部屋で深夜まで騒いでいて、日本テレビから決められた自分の部屋に戻ったのが遅かったんです。すでに鍵がかかっていました。同室の方はどうやらもうお休みのようで、遊んでいた僕が彼を起こすわけにはいきません。再び友人の部屋に戻りましたが、当然僕のベッドはなく、しかたないので床に横になったのです。これでは熟睡できるわけがありません。結局一晩中起きていたようで、身体はだるいし痛いし、最悪の状態になってしまいました。

 翌日朝、早くも集合の時間になりました。あれほど勝ちたいと思っていた気持ちはどこへやら、とにかく寝たい一心でした。もうジャンケンなんていいよ、寝てるから……と。しかし、いざブルースカイの間に入ると、さっきのヤワな気持ちは一新。ステージやカメラなどの機材を見ると、メラメラと闘志が甦ったのです。

 僕は不敵にも、このウルトラクイズの完全制覇をたくらみました。つまり、機内クイズは当然1位。しかも全問正解。各チェックポイントでのクイズも、最初の問題に連続正解して常に1位で通過。もちろんニューヨークでも相手に完封勝ち……。そんな夢また夢のようなことを、フーッと考えたんですから、あきれますね。

 実は、僕が参加した第5回は、クイズの強豪がたくさん出場していました。クイズグランプリ・パネルクイズアタック25で優勝経験のある学生クイズ王道蔦岳史君。クイズグランプリに優勝しており彼と実力一、二を争う、慶応大学の落合義和君。クイズ番組3回優勝の、電気会社勤務杉山眞さん。杉山さんの義兄でやはり優勝経験のある小室周也さん。そして第3回クイズ王の宗田利八郎さんと、彼の義兄でアップダウンクイズ優勝の迫敬輔さん、そしてブッチャーの友人たち。それ以外にもクイズ経験者がいっぱいいる、すごい回だったのです。

 そうとはつゆ知らず、妄想を考えていたのですから、とんでもないことです。

 その妄想も、機内クイズで早くも泡のように消え去りました。時間がなくて、20問ほど残してしまったのです。さらに、サイパンの空席順番待ちクイズではお手付きをしていきなり失格。敗者復活戦のドロンコクイズで、ようやく勝ち残ることができました。

クイズの怖さ、楽しさを知る

 ハワイでは、第3回のクイズ王宗田さんが失格してしまいました。ようやくウルトラクイズの怖さが身に染みてきました。ウルトラクイズで優勝するのはどんなにか難しいことか。それからはあわてずに、人のあとから付いて行こうという気持ちになりました。

 その後ラスベガスを経てこの番組初めてのメキシコへ。有名な保養地アカプルコでは相手を指名して、一対一で闘うドラフトクイズが行われました。僕は順番を待っている間、他の人に出されている問題を一生懸命メモしていたんです。僕はクイズが好きですから、クイズの思い出になるものなら、なんでも残しておきたかったのです。放送は編集されているので、誰も答えられなかった問題はカットされてしまうんですね。なんだか惜しい気がして。でもスタッフからは「まじめにやれ」と怒られてしまいました。

 次のチェックポイント、プラサメヒコでは闘牛場で「メキシコの子供95人に聞きましたクイズ」が行われました。子供たち95人のアンケート結果を元にしたクイズで、普通の知識では解けそうにない問題ばかりで弱りました。

 ここの罰ゲームの餌食になったのは吉村京子ちゃん。勝者は先の土地へすぐに移動するスケジュールの関係と、放送前に必要以上のことを知られたくない配慮から、罰ゲーム撮影の模様は一切わからないんですがこの時だけは特別でした。あまりに感激的な罰ゲームだったため、スタッフの部屋にわざわざ呼ばれてVTRを見せられたのです。それはたいへんな罰ゲームでした。なんと闘牛をするんです。そのため京子ちゃんは必死になって闘牛士からてほどきを受けて、罰ゲームに備えてました。いよいよ罰ゲームとなってカメラマンなどはサッと場外へ移動。たった1人闘牛場にたたずむ京子ちゃんめがけてやってきた牛は子牛、スタッフのシャレだったんです。

 京子ちゃんは力が抜けたようで、涙を見せていましたが、仮に僕が闘牛をしろと言われたらどうしていたか、今から考えても闘牛場のゲートにしがみついたり、とってもみっともない結果になっていたのではないでしょうか。

 

 

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